手焼き写真について– What's Hand printing ? –

2022年。 手焼き写真を知る人は、ほぼ絶滅したと考えられます。かつて存在した写真プリントの手法であるという事を知る者、道楽者、または絶滅を食い止めようともがいている者かも知れません。いずれにしても、恐らく結婚式のドキュメント撮影の業務で提供する人なれば、地球上探しても、ひょっとすると出会う事は叶わないかも知れません。

手焼き写真から学んだ事

2022年。
手焼き写真を知る人は、一般にはほぼ絶滅したと考えられます。統計の対象を広げ、かつ恣意的に抽出したとしてごく僅か、かつて存在した写真プリントの手法であるという知識のみであるか、道楽者であるか、あるいはノスタルジックなホビーとして根絶の歩みを少しでも送らせようともがいているかも知れません。いずれにせよ、恐らく結婚式のドキュメント撮影の業務で提供する人なれば、地球上探しても、ひょっとすると出会う事は叶わないかも知れません。
 しかし、手焼き写真の情緒的で引き込まれる様なグラデーションを目にした方の多くは、手焼きの写真とアルバムの魅力に引き込まれます。その柔らかな描写は「まるで絵画のよう」と評されます。何処までも穏やかなブライトゾーン、何処までも厳かなダークゾーン。その広大なグラデーションはデジタル写真とは異なる不規則なエラーを多分に含み、その揺らぎが人の持つ広大な感受性に響くのかも知れません。

2000年。
イースターエッグは、手焼き写真専門のウェディングフォトサービスとして産声を上げました。600万画素のデジタルカメラが200万円を超える時代でした。全てのテクノロジーと同じく、デジタルカメラの黎明期、そのクオリティは惨憺たるものでした。可能性や将来の趨勢はデジタルの勝利は約束されたものでした。それでもイースターエッグでは、時計、ペン、レコード等にアナログが存在している様に、デジタルフォトと手焼き写真の共存は可能であり、意義があると考えています。その考えに変わりはありません。

2022年。現在は手焼き写真のサービスを無期限で休止しています。手焼き写真を提供するためのあらゆる機器、材料、選択肢が狭まり、そのベクトルを残念ながら時計やペンの様にニッチに照準を合わせる事もままならないものとなり、故に価格を付けられないためです。

 しかし、その上で一生の宝物と考えるお客様がいらっしゃるのであれば、お声かけください。その際にはお応えいたします。

−文責-  笹倉猛見

手焼き写真の定義

「手焼き写真とは?」と尋ねられて、皆さんが思い浮かべるのは何でしょうか?
おそらくこのサイトをご覧の方ならご存じかも知れませんが、答えを先に言うなら、「フィルム」で撮影し、現像されたフィルム(ネガフィルム)を暗室で一枚ずつ引き伸ばし機で印画紙で露光し、化学変化によって色を再現される技法からなる写真を、私達は「手焼き写真」と呼んでいます。
 この引き延ばしの時、極短い露光時間の間にこの時はプリンターにもなるフォトグラファーは、ネガの内部を目で読みとり、部分部分の明暗、色調、主題などの部位をより引き立たせ、全体を完成させるべく「覆い焼き」「焼き込み」という熟練の作業を行います。
デジタルフォトの時代になり、こうした作業が誰でもPCモニターで簡単にできるようになった事は、喜ばしいことですが、写真はプリントしてこそ価値を生み出す物です。是非デジタルの写真であってもお気に入りの物は紙にして大切に保管しましょう。これは別の話ですので、また別の場所で。

機械焼き写真

下の写真は、上の写真を手焼きしたものです。周辺をシアンブルーに焼きこみました。私はこの撮影のとき、窓の光がとてもまぶしく、それを青く感じたので、新郎新婦さんと「窓の光が、とてもまぶしくて青いですね。」と話していました。 そして、この写真です。きっと、そのときの会話を思い出してくれるに違いありません。感覚を伴った思いでは一生忘れられるものではありません。左上の機械焼きの写真も、とてもきれいにプリントされてはいますが、そのときの会話までは語ってはくれません。だから手焼き写真というのは自分でプリントしなければ、それは機械焼きと変わらないと私は考えるのです。

手焼き写真

黒縁の秘密

 21世紀の幕開けから20年以上経過した今、相当な写真好き、いやカメラ好きな人で無ければ、フィルムで撮影する人はまれでしょう。皆さんが写真を撮り、普通の写真屋さんにプリントに出すと、その写真はネガの上下左右が少し切り取られてプリントされます。ラボのマシンはカメラ毎に微妙に異なるネガサイズをいちいち勘案して、それにある情報すべてをプリントする事はしません。つまり少し大きめにプリントして、その後四辺を規格サイズに裁ち落としているのです。  しかし私たちフォトグラファーは撮影時、ファインダーのすべてを使って構図決定していることがほとんどで、このときに裁ち落としは大変困るのです。たとえば画面いっぱいに人物を配置したのに、プリントで足先が切れてしまったりしては困るのです。そこで、自分でプリントするフォトグラファーの多くはプリント時に使うネガキャリア(ネガを固定する器具)を加工してネガにある絵すべてをプリントできるようにしています。これが黒い縁を作るのです。  つまり、黒い縁とはラボのマシン(機械焼きです)であってもそのキャリアを加工しさえすれば簡単に出来る物なのです。そうして作られた絵は、当然手焼きとは言えないと思うのです。また最近はデジタル画像からも銀塩写真出力が出来ますので、その時に黒縁のついたデータを作れば、これも手焼きっぽいですね。ここまでくると、さすがに手焼きと呼ぶことは出来ないでしょう。  いずれにせよ、結果として出来る黒縁が皮肉にも手焼きを彷彿させる物になってしまったのです。これを「手焼き風」と称し、商品とすることは、需要とお客様とのコンセンサスのある限り仕方ない物と考えます。しかし、お客様の知識不足をフォローすることなくこうした製品を「手焼き」と呼び、本物の手焼き並みのプライスで販売している業者が少なくないことは、私を含め実直に手焼きに取り組んでいる多くのフォトグラファーを失望させる現象です。  先に述べたとおり、「手焼き」に明確な定義はありません。ですからモラルに目をつむれば「手焼き」と言うことは簡単です。しかし、本当の手焼きを見ればその差は歴然です。ブライダルフォトは一生物です。本当に手焼きを臨むならば是非比べてください。また是非そのプリントは誰がどこで行っている物か聞いてみてください。

手焼き写真に対する私たちの思い。

最近はフィルムで撮影することそのものが珍しいものになってきました。
でも、皆さんが昔ながらのフィルムで写真を撮ったとしましょう。撮り終えたら町の写真屋さんや取次ぎ店などに現像プリントを依頼される事と思います。そこから集められたフィルムは、フルオートの機械で規格化された作業行程を経て写真として出来あがります。(普通これを機械焼きと言います。)ところがこのフルオートのプリンターは、フィルムに写し撮られた色や明るさを見ることはできても、”何をどのような意図で撮影したか”までは解りません。故に撮影者の意図や感性とは無縁の平均的写真しか作れません。「平均がいけないのか?」と言えば決してそのような事は無く、ごく普通の写真でしたら、これで特別不満を感じる方は少ないと思います。ところが写真を少しでも好きな方なら、そのプリントをご覧になって「確かにこんな色じゃなかった。」とか「もっと明るく撮ったはずなのに・・・」と言った経験はお在りの事と思います。当然です。機械焼きでは撮影者は最後の色作りにかかわっていないのですから!!

良く考えてみましょう。たとえば画家が下書きだけして、仕上げは全くの他人にさせるでしょうか? 私たちはプロの写真家は絵筆の代わりにレンズを持った画家と考えています。自らが撮影したフィルムは自らがプリントする事で思いを伝えたいと思うのです。

手焼きの神髄

翻り、手焼き写真とはなんでしょうか? 先に述べたとおり明確な基準はありません。しかし、フォトグラファーの立場から定義できるなら、それを「焼き手が魂を込め一枚一枚描き上げるもの」としたいです。機械焼きとの一番の違いは、自分の意思をそこに反映させられる点です。これはフルオートプリンターでの機械焼きでもある程度は可能です。ですが、それは例えば少しばかり色味を変えるとか、濃度を加減するとかそのくらいのものでしかありません。(またこれをすること(手を加えたと言うこと)で「手焼き写真」と言ってしまうところがあるのは先に述べたとおり・・・)
 その点、先の仮定に基づく手焼きは、例えば新婦様の顔の部分だけを真っ白く焼いて見たり(飛ばすともいいます。)周辺だけドラマテッィクに焼きこんだり、カラーだったらそれに加えて周辺だけセピア調にしたりする事だって可能です。しかもそれは、デジタル技術ではありませんから、まさに1点ものの価値ある作品となります。
  それが今、新しい感性を持ったお客様に受け容れられています。

 本物を求める多くの方に、私どもの手焼き写真をご覧頂き、お選びいただいている事は、大きな励みであり何よりの喜びです。

全てを手作りする理由

ライカで撮る婚礼写真

ライカ。
カメラに詳しくない方でもその名前は耳にされたことがある事と思います。ライカとは、デジタルカメラ全盛の今、「フルサイズ」と形容されるにいたるほど、カメラシステムの礎を築いたドイツのカメラブランドです。中でも1950年代初旬に登場したM型システムは、その精密さ、堅牢さ、光学性能の高さを誇ります。それらシステムは現在でも実用に耐え、コンピュータに依らない時代に製造されたレンズは驚くほど人間味溢れる味わい深い描写を、最新のライカレンズはコストを度外視し妥協を排した設計を叶えているのです。それらが描く絵は一目で分かるほどみずみずしく鮮やかでかつ優しいものになります。
ただし、60年前のシステムの基本をそのまま引き継いでいるため、ピント合わせはもちろん、露出設定も、巻き上げも巻き戻しも手動です。しかもフィルムの場合は1本のフィルムで最大36枚しか撮ることが出来ません。あまりに現実的では無いのフラッシュも使えません。ウェディングフォトの仕事道具として考えるなら、これほどリスクが高く、時代錯誤なものは無いかも知れません。

 しかし、イースターエッグでは、手焼き写真の撮影 = フィルムでの撮影の場合、ライカのみを使います。それは、35ミリフィルムカメラ先駆者へのリスペクトなどでは無く、丁度良いからです。非常に制約が多いからこそとることが出来る写真。詳しくはスタッフにお尋ねください。

手焼き写真作例

花嫁の父

 撮影してネガが出来てきて、そしてプリントが出来あがります。それを丹念にアルバムに仕上げていよいよ完成です。お客様にアルバムを納めさせていただくとき、私たちはいつも一抹の寂しさを感じます。それは、たとえ一時でも私たちの手に在った作品が手の届かないところへ行くと言う、花嫁を送り出す父親母親の気持ちにも似ているのではないかと思います。
 父親母親なら、その花嫁はどこに送り出しても恥ずかしくない娘で在ってもらいたいと思うのは、誰でも同じでしょう。それは、自分たちの写した写真に対しても全く同じ気持ちです。だから、私たちにとって自家プリントは必然でした。自分でプリントする事が出来れば、一枚一枚ネガを見て、その撮影状況を思い出して、それを再現できるよう焼くことが出来ます。例えば会場内が温かいタングステン光で満たされていたら、プリントでもそれを表現します。また、イメージ的にセピアを感じたらセピアっぽく焼きます。この感覚は、ほとんど私個人の主観ですが、いつもとても喜ばれます。機械焼きではどうしても無難なプリントになるので、味気ない色調になりがちです。
 それでも自分で手焼きする以前は、その距離を少しでも埋めようと、優秀なラボマンと仲良くなり何度も話し合い、私と言うフォトグラファーを良く知ってもらい、かなりのレベルまでクォリティの高いプリントを得る事も出来ました。ですが、それは大変な時間がかかり、また完全に一致させる事はやはり不可能でした。まして手焼きを外注するとなると、当時の価格でキャビネ一枚800円くらい(業者価格)はしたので、手焼きアルバムの価格設定を高くせざるを得ませんでした。しかし、それでは自分が一番いいと思うものでもお客様には負担となりはしないか?と考えました。また実際とても普通の感覚では無い価格となりました。(当時で30万円overなど・・・)いろいろなことを考えると、自分でプリントまでする事が一番だとの結論に達しました。
 それからはカラープリント・現像できる機材をそろえ、ひたすら練習に練習を重ねました。そして実際自分で納得のいくプリントを見てからは納品時にもより自信がつき、その作品を見て喜んでくださるお客様の様子を見て、少なくとも此処までの課程は正しかったのだな・・と思っています。もちろんそれからも創意工夫を加え、また時とともにわずかずつ変化するニーズやセンスに敏感に対応し続ける努力を怠ることはありません。

「いいものを本当に適正な価格で提供する。」その為に出来る事の一つが、手焼きなのです。

今、当社には自分でカラーの手焼きを出来る者は笹倉小杉のみです。手焼き写真とは、それほど取りかかりにくく習得しにくい技術です。今後デジタル技術が進むとその需要は減るでしょう。しかしまた「本物」を求める声は、どのような世界でも同じように無くなることはないと思っています。私たちを望む声がある限り手焼き写真を提供しつづけてまいります。

  本物の手焼きをお探しでしたら、イースターエッグをお勧めいたします。しかし、残念ながら本物の手焼きの質感をどうしてもホームページでは表現することが出来ません。是非一度アトリエにお越しの上実物をご覧下さい。そのすてきな色合いにきっと息をのむことでしょう。